苦しい時は結局前向きになるしかない
今週のお題「2019年上半期」
久しぶりにブログ書きます。
ここ数年、いえ人生全てにおいて上手くいかないことばかりでした。
頑張っても頑張っても報われない。
若い頃は頑張ったら少しは好転する事が多かった。
最底辺で生きるのが当たり前だったから、発狂しながら底辺から上を睨みつけながら、その目が見つかりそうになったら貼り付けた笑顔で何事もなかったように口角をあげ、歯を食いしばって全身に力を込めて恨み妬み生きてきた。
やっと報われるかと思い必死にたった一人で安定剤を飲みながらやってきたけれど、全てを搾取され「頑張ってるのは君だけではない」と嗤われた。
プツリと全てが切れた。
恨み妬む事をやめた
「泣いて泣いて苦しくなる環境にいる必要はないよ。うちにおいでよ。お金ないけどさ。姉妹じゃん」
そう子どもの声を背後に抱きながら妹が笑った。
私たちにはもう実家はない。
「兄弟や家族ってそういうものらしいよ。うちらそういうの知らんかったけどさ。最近知ったよ。お姉ちゃんも知ってや」
私たちはそういう家庭に育った。私には元から彼女しか家族はいない。そう思う事で逃げることに3年前からしている。
もちろん。私はそういう感情は知らないから、彼女に頼る事はない。
どんな過酷な環境でも戻るところが無いと不安になる。足が震える。心が怯える。
ネットを彷徨い、毎日何百と調べても、私のようなおばさんが生きる方法はなかなか見つからない。
なぜこんな思いをしなくてはいけないのか!私と同じようにあいつらを追い込んでやる!
許さない!
絶対に!
絶対に!
お前らが間違っている事を世間にぶちまけてやる!
私の今年の前半、去年からの1年半そればかり考えていた。
でももう辞めた。
苦しいところでいくら前向きになってもそれは自分の痛みを和らげるものにはならない
人は誰でも認められて生きたい。最近簡単に「承認欲求うざい」なんて言葉を吐かれる。でもそれをその人にぶつける行為は「お前を私は否定する」という悪意の承認欲求では無いのか。
私はそういう無駄な事で頭をいっぱいにするのを今月から辞めたい。
ちょっと困らせたいから、殺してやる!という極端な感情まで、そこまで他人へ負の感情を送るのをやめる。
人を貶めるために頭を使う事をやめる。私を追い込んでいる彼らも私を邪魔だとしか思っていないだろう。困らせてやろう。と笑っているだけなのだろうし、上から言われている事を思考もしないで行なっているだけかもしれない。他人の行動のために自分の思考を追い詰める必要はない。
意味がない。他人を変える事はできない。
私はたくさんの事ができる。制限するのは自分だから。
今年はたくさんの場所へ行こう。
たくさんのモノに触れよう。
私は私をよくするために思考を飛ばし、自分の未来を夢想しよう。
恨む時間はない。
それを人によっては前向きと呼ばないかもしれない。
でも明日笑える思考をしよう。
思考は世界で一番自由な行為だから、暗く閉ざす事はやめよう。
「泣いて泣いて苦しくなる環境にいる必要はないよ。うちにおいでよ。お金ないけどさ。姉妹じゃん」
私は帰らないが、暖かい、最初で最後の帰る場所がある。